若い頃は「出世して家族を楽にさせたい」と思ったこともありました。
でも、気づけばそんな目標からはずいぶん離れた場所にいます。
それでも不思議と悔しさはなく「まだ自由を手にできる」と思えるのです。
今日はそんな気持ちを書き残してみようと思います。
出世競争から降りて見えた景色
学生時代から勉強よりもアルバイトや友人との時間を優先してしまい、社会に出てからも上に行くより「今をこなす」ことが多かった気がします。
中学の頃、新聞配達で朝早くから働いたことが、働く習慣の始まりでした。
周りの同僚がどんどん役職についていくのを見て、正直うらやましいと思ったこともあります。
でも35年以上働いてきた今思うのは、「出世しなかったからこそ、気づけたことがある」ということです。
出世がすべてではないと気づいた瞬間
出世すれば収入も責任も増える。
でもその分、家族との時間や自分の自由が奪われることも多い。
若い頃はそれが当然と思っていましたが、歳を重ねると「本当に大事なものは何か」を考えるようになります。
家族で旅行に出かけたときの笑顔や、近所を散歩して青空を見上げる瞬間にこそ幸せがあるのではないか。
役職や肩書きは消えても、そうした思い出は消えません。
シニア世代だからこそ選べる自由
今の50代、60代は「定年」という言葉にしばられる時代ではなくなりつつあります。
旅行に行くのもよし、新しい学びを始めるのもよし。
小さな商いをやってみるのも面白そうです。
私自身、インドネシアで働いた経験から「言葉の壁は怖がらずに乗り越えられる」と知りました。
あのときの挑戦心をもう一度取り戻せば、シニアでも新しい人生を切り開ける気がしています。
「これでいいのだ」と思える心
私の好きな言葉は「これでいいのだ」。
出世を逃したといえば聞こえは悪いですが、それもまた自分の人生。失敗ばかりのように見えても、反省して次に生かしてきたから今があります。
松山千春や浜田省吾の歌を聴くと、「自分らしく生きていいんだ」と背中を押してくれるように感じます。
肩の力を抜き、「まあ、これでいいのだ」とつぶやけば心が楽になります。
これから挑戦してみたいこと
健康でいる限り、まだやりたいことはたくさんあります。
たとえば家族ともう一度海外旅行に行くこと。
大谷翔平の試合をアメリカのスタジアムで観戦すること。
小さな夢でも叶えれば大きな喜びになるはずです。
また、老後に必要なお金を工夫しながら得ることも挑戦のひとつ。
まとめ:出世は逃しても自由は逃さない
出世のレールから外れたことで見えてきたのは、「本当の自由は自分の心次第」ということです。
役職は人に与えられるものですが、自由は自分で選ぶもの。
これからは、もっと家族との時間を楽しみ、旅や学びを通じて心豊かに過ごしたいと思います。
もし同じように「出世しなかった」と感じている方がいたら、どうか落ち込まないでください。
自由はまだ間に合います。
そしてそれは、これから先の人生をきっと明るくしてくれるはずです。