大阪の東大阪市にある「石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)」。
通称“石切さん”は「でんぼ(腫れ物)の神様」として有名です。
以前、母の手術前に参拝し、5年以上経った今も元気に過ごしており、お礼参りにも来ました。それから3年振りに訪れ、今回は初めて「お百度参り」を実際に体験してきました。
今回は、そのときの様子や感じたことを紹介します。
これから行かれる方の参考になれば幸いです。
石切さんの参道は懐かしさと活気が混ざる場所
神社へ向かう途中、まず驚いたのが参道のにぎやかさです。
両側には占いのお店、よもぎ餅のお店、漬物屋さん、薬膳茶の店などがずらり。
平日にもかかわらず、シニア世代を中心に多くの人で賑わっていました。
私はまず、参道の途中にあった老舗の和菓子屋さんで「よもぎ餅」を購入。
やわらかい餅に包まれたあんこが優しい甘さで、旅のスタートにはぴったりでした。
こうした小さな店との出会いも、神社巡りの楽しみのひとつですね。
境内の静けさと心落ち着く空気
鳥居をくぐると、街の喧騒が一気に遠のき、空気が変わりました。
境内は意外と広く、木々の緑が目に優しい。
本殿の前に立つと、自然と背筋が伸び、心がすっと静まります。

まずは拝殿で参拝を済ませ、「お百度参り」を行うための「百度石」を確認しました。
百度石は、本殿から少し離れた場所にあり、白い石柱のような形をしています。
昔ながらの参拝方法ですが、今でも多くの方が実際にお百度参りをされています。

初めてのお百度参りに挑戦
お百度参り紐を頂き、いよいよお百度参りを始めました。
百度石から本殿までの往復を、ゆっくりと自分のペースで歩きます。

「家族の健康」と「自分のこれからの人生が穏やかでありますように」と願いながら、一歩一歩を踏みしめました。
最初の10回ほどは、周囲の視線も気になりましたが、次第に気持ちが落ち着き、歩くリズムが祈りに変わっていくような感覚に。
50回を過ぎたころから足に疲れを感じましたが、同時に不思議と心は軽くなっていきました。
「あと半分だ」と思うより、「この時間が心地よい」と感じ始めていました。
そして100回目。
最後の一往復を終えて本殿の前で手を合わせた瞬間、何とも言えない充実感が込み上げてきました。
「願いが叶うかどうか」よりも、「ここまで歩けた」という達成感が大きかったです。
お百度参りを終えて感じたこと
お百度参りを終えたあと、本殿横のベンチに腰掛けてしばらく休憩しました。
境内を吹き抜ける風が心地よく、清々しい気持ちでいっぱいになりました。
100回という数字は確かに大変ですが、終わってみると、心の中に静かな満足感が残ります。
私の場合、「何かを祈る」というよりも「自分と向き合う時間」になった気がします。
また、途中で一緒に歩いていたご年配の方と自然に会話が生まれ、「私も孫のために参ってるんです」と話してくれました。
見知らぬ人同士でも、同じ思いで歩いていると不思議と心が通うものです。
石切参道のもう一つの楽しみ
お百度参りの後は、参道をゆっくり歩きながらお店をのぞいて回りました。
有名な「占い通り」では、手相や姓名判断をしてくれるお店が多く、興味本位で一軒立ち寄ってみました。
「今年は新しい出会いがありますよ」と言われ、少し嬉しい気持ちに。
そのあとは、薬膳茶のお店で体を温めるお茶をいただきました。
ほんのり甘く、体の芯からホッとする味。お百度参りの疲れもすっと和らぎました。
まとめ:歩いて、祈って、心が整う時間
今回初めてお百度参りを体験してみて、「歩くこと」「祈ること」「感謝すること」が一つに繋がるような感覚を得ました。
体は疲れても、心は不思議と軽くなる——そんな時間でした。
石切劔箭神社は、ただ願いを叶えるための場所ではなく、「自分と向き合う場所」なのだと感じます。
参道の賑わいも含めて、まるで“生きた町の神社”のような温かさがあります。
健康を願う方、心を整えたい方には、ぜひ一度訪れてみてほしい場所です。
私自身も、また季節を変えて参拝し、お礼参りをしたいと思います。

