昔、買い物といえば商店街でした。八百屋さん、魚屋さん、駄菓子屋さん。店主の笑顔と「今日も元気かね?」の一言が温かく感じられたものです。
ところが今では、シャッターが下りたままの店が目立つようになりました。歩くたびに「ここも閉まったのか」と胸がチクリとします。
今回は、そんな商店街を歩きながら感じたこと、そしてこれからの地域のあり方について思ったことを書いてみたいと思います。
子どもの頃の商店街は、まるでテーマパークだった
私が子どもの頃、地元の商店街は毎日がお祭りのようでした。
放課後になると、駄菓子屋の前に子どもが集まり、くじ引きで盛り上がっていました。
魚屋のおじさんは、「今日はタイが安いぞ!」と声を張り上げ、八百屋のおばちゃんは笑いながら「おまけしとくよ」と言ってくれました。
商店街は、ただの「買い物の場」ではなく、人と人とが触れ合う「暮らしの舞台」でした。
今思えば、あの時代は“人のぬくもり”が日常の中に当たり前のようにあったんですね。
いつの間にかシャッターが下り、静まり返った通りへ
いつからか、商店街を歩いても聞こえるのは自分の足音だけになりました。
大型スーパーやネット通販が広まり、便利さを求めるあまり、気づけば昔の顔なじみのお店が次々と姿を消していったのです。
シャッターの前には、「長い間ありがとうございました」「閉店いたします」の貼り紙。
その一枚一枚が、誰かの人生の節目なんですよね。
「頑張ってこられたんだな」と思うと、胸が熱くなります。
けれど、寂しさの中にも学ぶことがあります。
どんなに時代が変わっても、人とのつながりを大事にする気持ちは忘れたくない。
「便利さ」と引き換えに失ったものの大きさを、あらためて感じました。
商店街再生のニュースに小さな希望を感じて
最近、地元でも「空き店舗を若者がカフェにリニューアル」なんてニュースを耳にします。
古い建物を生かして、おしゃれな雑貨店やパン屋ができていたりして、歩いているだけでちょっとワクワクします。
昔ながらの八百屋さんの隣に、新しいアイデアで挑戦する若者の店。
世代を超えて支え合うような光景が、また見られたらいいなと思います。
もしかすると、商店街は“昔に戻る”のではなく、“新しい形に生まれ変わる途中”なのかもしれません。
私もできることから関わってみようと思う
「もう年だから」と言い訳して何もしないより、できることからやってみる。
たとえば、たまに地元の店で買い物をする。
散歩のついでに顔を出して「こんにちは」と声をかける。
それだけでも、きっと小さな力になると思うのです。
私が大切にしている言葉は「これでいいのだ」。
無理せず、自分のペースで関わっていけばいい。
人の温かさを感じられる商店街を、少しずつ取り戻せたら素敵ですよね。
未来の商店街に願うこと
これからの商店街は、「物を買う場所」から「人が集まる場所」になっていくのではないでしょうか。
ベンチがあって、コーヒーを飲みながら世間話ができる。
小さなイベントが開かれ、子どもたちの笑い声が響く。
そんな風景を想像するだけで、心があたたかくなります。
商店街がもう一度、人と人をつなぐ“笑顔の通り”に戻る日を信じて、
今日もゆっくり歩いてみようと思います。
まとめ 〜変わっても残したいもの〜
時代は変わっても、人とのつながりや思いやりは変わらずに残したい。
シャッターの向こうに眠っているのは「過去」ではなく、「再生のチャンス」かもしれません。
商店街が再びにぎやかに輝く日が来ることを願って——。

