気づけば季節がまたひとまわり。
いつもの朝、いつもの道、いつもの顔ぶれ。
若い頃は「変わらない日々なんて退屈だ」と思っていましたが、今ではその「変わらないこと」こそが、何よりもありがたく感じます。
今日はそんな日々の中でふと感じた、“小さな奇跡”について書いてみようと思います。
変化ばかりを追いかけていた若い頃
20代、30代の頃は、「もっと上を」「次のステップへ」といつも焦っていた気がします。
インドネシアでの海外勤務をしていたときも、「早く結果を出さなければ」と肩に力が入っていました。
でも、言葉も文化も違う中で悪戦苦闘するうちに、気づいたんです。
「毎日無事に一日を終える」こと自体が、どれほど貴重なことかを。
朝起きて、食事をして、仲間と笑い合って、夜眠れる。
それだけで本当は十分に“幸せ”なんだと気づいたのは、あの頃だったと思います。
当たり前のようで、当たり前じゃない日常
家族と食卓を囲むこと。
出勤途中に見る朝焼け。
スーパーで顔なじみの店員さんと交わす「おはようございます」。
こうした小さな出来事も、当たり前ではありません。
体調を崩せばできなくなるし、大切な人がいなければ交わせない言葉です。
特に50代を過ぎると、健康のありがたさを実感します。
「何も起こらない」一日が、実は最高のご褒美なんだと感じるようになりました。
最近見た映画のセリフで心に残った言葉があります。
「今日があることは奇跡だ」――まさにその通りですね。
変わらない日々を支える“ちょっとした習慣”
とはいえ、ただ同じ毎日を繰り返すだけでは退屈になります。
「変わらない日々」を楽しむためには、心の持ち方が大切だと思います。
私がこれから取り入れてみようと思っているのは、
・朝、3分だけ深呼吸して空を見上げる
・小さな“ありがとう”を口に出す
・週に一度は、季節の花や風景を写真に残す
どれも特別なことではありませんが、意識するだけで気持ちが穏やかになります。
こうした小さな習慣が、「変わらない日々を支える力」になる気がしています。
年を重ねて見えてくる“奇跡”の正体
若い頃は「奇跡」といえばドラマチックな出来事を思い浮かべました。
でも今は違います。
家族が元気で、今日も同じ場所に帰れる――それこそが奇跡です。
50をすぎてようやく気づいたのは、「幸せは探すものではなく、感じるもの」だということ。
過去の失敗も、恥ずかしい経験も、全部が“今”につながっている。
そう思うと、どんな日も愛おしく思えてきます。
明日もまた、同じ朝を迎えられるように
「これでいいのだ」
昔から好きな言葉ですが、今ほどこの言葉がしっくりくる時期はありません。
完璧じゃなくていい。派手じゃなくていい。
変わらない日々を大切に積み重ねることこそが、人生の一番の奇跡なんだと思います。
明日も、今日と同じように笑っていられるように。
そんな願いを胸に、これからも一日一日を大切に過ごしていきたいです。
まとめ
変化が激しい時代だからこそ、「変わらない日々」を大切にしたい。
何気ない朝の空気、食卓の匂い、家族の笑い声――それらすべてが奇跡の連続です。
これからも、小さな幸せを丁寧に拾い集めながら、
「健康で楽しく生きる」という自分の目標を少しずつ形にしていきたいと思います。

