子どもが成長するにつれ、親の出番はだんだんと減っていきます。
昔は「こうしなさい」「ああしなさい」と言っていたのに、気づけばもう自分で道を選ぶ年齢に。
親として、心配も不安も尽きませんが、今こそ「信じて見守る」時なのかもしれません。
私自身の経験を通して感じたことを、今日は少し書いてみたいと思います。
親の出番が減る寂しさと誇らしさ
子どもが自分の考えで動き出す姿を見ると、どこか頼もしくもあり、同時に少し寂しさも感じます。
小さい頃は、何をするにも「お父さん、見て!」と笑顔で寄ってきたのに、いつの間にか相談の回数も減ってしまいました。
でも、それは自然なことだと思うようになりました。
自分も若いころ、親に反発しながら少しずつ社会に出ていった。
その経験を思い返すと、「子どもも同じように自分の世界を築こうとしているのだ」と感じます。
寂しさの中にある誇らしさ——それが今の自分の正直な気持ちです。
親の心配は尽きないが、「信じる」力が大切
子どもの決断を見ていると、「本当にそれで大丈夫か?」と口を出したくなる時があります。
たとえば、進学先や仕事の選択、結婚など——どれも人生の大きな節目です。
でも、結局は本人の人生。
親がどれだけ心配しても、代わりに生きてあげることはできません。
だから私は、「口を出すより、信じる方が難しい」と実感しています。
信じるとは、「失敗しても大丈夫」と思えること。
子どもが転んでも立ち上がれる力を持っていると、心から信じること。
その気持ちを持てるようになった時、親も一歩成長するのかもしれません。
「見守る」とは、何もしないことではない
「見守る」という言葉には、「放っておく」というイメージを持つ人もいます。
けれど、本当の見守りは「いつでも支えられる状態でいること」だと感じます。
たとえば、子どもが落ち込んでいる時に、すぐに助け舟を出すのではなく、
「話したくなったらいつでも聞くよ」と声をかけておく。
それだけで、子どもは安心するものです。
私自身、若いころ海外で働いた時、家族から「無理せず、いつでも帰っておいで」と言われた言葉が、どれほど心の支えになったか。
あの経験があったからこそ、今度は自分が「見守る側」として同じように接したいと思っています。
子どもの人生は、親の作品ではない
親はどうしても「こうなってほしい」という理想を持ってしまいます。
でも、子どもの人生は親の作品ではありません。
その子の人生には、その子にしか歩めない道がある。
親の役目は、人生の地図を描くことではなく、迷った時に灯りをともすこと。
子どもがその光を見つけて自分で進めるようになることが、何よりの喜びです。
思い通りにならない時もありますが、それもまた親としての学び。
「こうしなさい」と言うより、「どう思う?」と聞ける親でありたい。
そんなふうに思うようになりました。
信じて見守ることで、親もまた成長する
子どもを信じて見守ることは、実は親自身の心の訓練でもあります。
「待つ」「任せる」「受け入れる」——どれも簡単ではありません。
けれど、それを繰り返すうちに、親も少しずつ成長していく。
そしていつか、子どもから「ありがとう」と言われた時、
あの時信じて良かったと、心から思えるはずです。
親が子を育てるだけでなく、子も親を育ててくれている。
そのことに気づけた今、私は「これでいいのだ」と素直に思えます。
これからの私の目標
これからは、「干渉する親」ではなく「信頼される親」を目指したい。
子どもが迷った時に、そっと背中を押せるような存在になりたい。
そして何より、自分自身の人生も楽しむこと。
子どもの幸せを願いながら、自分も健康で笑顔で過ごす。
そんな日々を積み重ねていけたらと思います。
まとめ
子どもの選択を信じて見守ることは、簡単ではありません。
でも、それは「親としての最終形」なのかもしれません。
信じることで、子どもも成長し、親もまた心を豊かにしていく。
今日もまた、子どもたちの背中を見送りながら、
「きっと大丈夫」と心の中でつぶやきたいと思います。