年齢を重ねると、「あの時の失敗がなければ」と思い出すことが増えてきます。
若い頃の後悔や、仕事での判断ミス、人間関係のつまずき。
思い出すたびに少し胸がチクリとするものです。
けれど最近、こう考えてみようと思うようになりました。
あの失敗があったからこそ、今の自分の判断があるのではないか、と。
50代、60代になると、人生の折り返しを過ぎた実感が強くなります。
だからこそ、過去の失敗を「重荷」にするのではなく、「財産」に変えていく生き方をしてみたい。
今回は、そんな思いを書いてみようと思います。
失敗は消せない。でも意味は変えられる
若い頃は、失敗を「汚点」のように感じていました。
例えば、学生時代にもっと勉強しておけばよかったと思うことがあります。
あの時もう少し真面目に取り組んでいたら、違う道があったかもしれない。
そう考えると、少し後悔が残ります。
しかし、今になって思うのです。遠回りをしたからこそ、人の気持ちが分かるようになったのではないか、と。
順風満帆に進んだ人は、挫折の痛みを知らないかもしれません。
でも失敗を経験した人は、同じように悩む人に優しくなれる。
これは大きな強みです。
失敗そのものは消えません。
でも、「あれは無駄だった」と思うか、「あれがあったから今がある」と思うかで、人生の意味は大きく変わります。
経験が増えるほど、判断は静かになる
若い頃は、勢いで決めてしまうことが多かったように思います。
「まあ何とかなるだろう」
「みんながやっているから大丈夫だろう」
そんな気持ちで動いて、結果として失敗したこともありました。
しかし年齢を重ねると、不思議と一呼吸おけるようになります。
「あの時、急いで失敗したな」
「焦って決めるとろくなことがなかったな」
過去の体験が、心の中でブレーキをかけてくれるのです。
例えば、大きな買い物をするとき。
若い頃は勢いで決めていたかもしれません。
でも今は、「本当に必要か」「後悔しないか」と考える時間を持てる。
これも、過去の失敗が教えてくれたことです。
経験とは、未来を慎重にする知恵袋のようなものかもしれません。
海外で感じた「怖がらない」という学び
以前、インドネシアで働いた経験があります。
言葉の壁にぶつかり、最初は本当に怖かったものです。
「通じなかったらどうしよう」
「間違えたら恥ずかしい」
そんな思いが先に立ち、なかなか声をかけられませんでした。
けれど、黙っていても何も始まりません。思い切って話しかけ、間違え、笑われ、それでも続けるうちに、少しずつ通じるようになりました。
あの時の失敗の連続が、今の自分に教えてくれたことがあります。
それは「怖がらずに一歩出すこと」の大切さです。
失敗しても、命まで取られるわけではない。
そう思えるようになると、人生は少し楽になります。
あの経験がなければ、今も新しいことに尻込みしていたかもしれません。
失敗を「次の判断材料」にしてみる
大切なのは、失敗を反省で終わらせないことだと思います。
「なぜうまくいかなかったのか」
「次はどうするか」
ここまで考えてこそ、失敗は意味を持ちます。
例えば、人間関係で言い過ぎてしまったとします。
その時は落ち込みますが、「次は一度飲み込もう」と決める。
それだけで、次の場面では違う行動ができるかもしれません。
失敗は、未来の自分へのメモのようなものです。
私たちは長い年月を生きてきました。
それだけで、若い頃にはない判断材料を山ほど持っています。
それを「後悔の箱」に入れてしまうのか、「知恵の引き出し」に入れるのか。
選ぶのは自分です。
これからの人生にこそ、失敗は役に立つ
これから先の人生は、若い頃よりも時間が限られているかもしれません。
だからこそ、無駄な遠回りは減らしたい。
そのために役立つのが、過去の失敗です。
老後の人生設計を考えるときも、健康のことを考えるときも、家族との時間を大切にするときも、「あの時こうしておけばよかった」という思いが判断の支えになります。
失敗は恥ではなく、経験値です。
ゲームでいえば、レベルを上げるための出来事のようなもの。
痛みはあっても、確実に自分を強くしてくれています。
好きな言葉に「これでいいのだ」という言葉があります。完璧ではなくても、失敗を含めて自分の人生だと思えたら、それでいいのではないでしょうか。
これから何か新しいことを始めるとき、「また失敗するかもしれない」と思うこともあるでしょう。
でも同時に、「前の失敗があるから大丈夫」とも思えるはずです。
そう考えると、少し勇気が湧いてきませんか。
昔の失敗は、もう終わった出来事ではありません。
これからの判断を支えてくれる、心強い味方です。
今日ひとつ、小さな挑戦をしてみようと思います。
失敗しても、それはまた未来の自分を助ける材料になるはずですから。
